さかなクンが書いたのは、広い海へ出る話ではなく隣にいる話だった

YouTubeで、1分で言葉をひとつだけ紹介する動画を出しています。その1本で使ったのが、さかなクンのこの言葉でした。

「広い空の下、広い海へ出てみましょう」

この言葉なら聞いたことがある、という人は多いと思います。わたしもそうでした。狭い水槽のメジナの話とセットで、何度も回ってきます。

ただ、もとの文章を読んでいちばん驚いたのは、この1行の直前に何が書いてあるかでした。1分では、そこまで入りませんでした。

目次

有名なのは最後の1行ですが、文章はそこから始まっていません

出どころは朝日新聞の2006年12月2日、「いじめられている君へ」という連載です。題は「広い海へ出てみよう」。署名は当時の肩書きで「東京海洋大客員助教授・さかなクン」になっています。

長い文章ではありません。段落にすると6つです。何が書いてあるかだけ並べると、こうなっています。

何が書いてあるか
1中学1年のとき、吹奏楽部の友人に誰も口をきかなくなった
2メジナは海では群れて泳ぐが、狭い水槽では1匹を仲間はずれにする
3その1匹を助け出しても、次が出てくる
4小さな世界に閉じこめると始まる。同じ場所、同じエサ、同じ種類同士なのに
5自分は理由を聞けなかった。それでも一緒に釣りに行った
6広い空の下、広い海へ出てみましょう

6つのうち2つが、さかなクン自身の話です。魚の話は、あいだに挟まっているほうでした。

回ってくるのは、たいてい2と3と6です。1と5は、ほとんど一緒に運ばれてきません。

メジナを狭い水槽に入れると、1匹が仲間はずれにされます

先に、有名なほうの話を片付けます。

さかなクンが書いているのは、自分で飼って見たことです。メジナを狭い水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めた。けがをしてかわいそうなので、その魚を別の水槽に移した。

ここからが、この話の本体です。

いじめられた魚を助けても、次のいじめられっ子が出てきます

水槽からどの魚を出すかそのあと起きること
いじめられている魚残った魚が、別の1匹をいじめ始める
いじめている魚新しいいじめっ子があらわれる

どちらを出しても、同じところに戻ります。入れ替えても起きるなら、原因は個体のほうにはありません。

この2行が効くのは、いじめられる側にもいじめる側にも「そういう性格だから」という説明が付けられないからです。性格の問題なら、入れ替えたら止まるはずです。止まりません。

海のメジナは、群れで泳いでいます

気になったので、メジナのほうも調べました。東京都島しょ農林水産総合センターの解説にこうあります。

メジナ
分類スズキ目メジナ科メジナ属。沿岸の岩礁帯
群れ生後1〜2年の若魚は、日の出とともに群れをつくって沖へ移動する
3年目から群れをつくらなくなり、沖合の岩陰で暮らす
大きさ生後1年で11cm、3年で20cm。30cmを超えるには7年

水槽に入れられるサイズのメジナは、ちょうど群れをつくる年齢の若い魚です。海にいれば群れて沖へ出ていく魚を、箱に入れると1匹を攻撃し始める。

魚が変わったのではありません。水の量が変わっただけです。

いばっていた先輩も、3年になったとたん無視されました

ここが、引用されているのを見たことがない一節です。

さかなクンは中学1年のときの話として、友人が急に口をきいてもらえなくなったことと並べて、いばっていた先輩が3年になったとたん無視されたことを書いています。

水槽の実験と、同じ形をしています。立場が上でも下でも、順番が回ってくる。誰がやられるかは、その人の中身で決まっていません。

2つ並べて置いてあるのは、たぶん偶然ではないと思います。

さかなクンは「なんで?」と聞けませんでした

そして最後の段落です。ここが、わたしがいちばん驚いたところでした。

さかなクンは、いじめている子たちに理由を聞けなかったと書いています。話を聞いてあげることも、励ますこともできなかった、とも書いています。

できたことではなく、できなかったことが書いてあります。

いじめについて大人が書く文章は、たいてい「こうしましょう」で終わります。この文章は違いました。書いた本人が、そのとき何もうまくできなかったと先に言っています。

できたのは、学校から離れて釣りに行くことだけでした

そのうえで、やったことが1つだけ書いてあります。仲間はずれにされた子と、よく魚釣りに行った。

学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけ。それだけで、その子はほっとした顔になっていた。誰かが隣にいるだけで安心できたのかもしれない、という書き方をしています。

その直後に、あの1行が来ます。

この順番で読むと、「広い海へ出てみましょう」は、逃げろという話ではありませんでした。

水槽の中の魚は、自分で水槽を出られません。出してやれるのは、外から手を入れられる側だけです。そしてさかなクン自身がやったのも、水槽を出ることではなく、隣にいることでした。

わたしには2歳の娘がいます。いずれ、どこかの水槽に入ります。そのときにできることは、たぶん「なんで?」と聞くことでも、うまい言葉をかけることでもなくて、学校ではない場所に連れ出して、隣にいることのほうだと思いました。

2006年の新聞が、いまは中学1年の教科書です

この文章は、新聞に載って終わりませんでした。

いつどうなったか
2006年12月2日朝日新聞「いじめられている君へ」に「広い海へ出てみよう」として掲載
2007年5月絵本『さかなのなみだ』(リヨン社・32ページ)になる
いま光村図書『きみがいちばんひかるとき』中学道徳1年に「魚の涙」として掲載。内容項目はC「公正、公平、社会正義」

新聞の投稿欄から、20年かけて授業になりました。いま中学1年なら、教科書で読んでいる可能性があります。

さかなクンの肩書きのほうも動いていて、2006年の署名は客員助教授でしたが、いまは東京海洋大学の名誉博士(2015年3月18日)・客員教授(2022年)です。

読むなら

新聞に載った文章そのものは短いので、いま手に取るなら絵本のほうになります。

理由
向いている:親水槽を変えられるのは外の人だ、という話として読める
向いている:教科書で読んだ人教材は抜粋です。絵と一緒に通しで読むと印象が変わります
向いていない:対処法がほしい人手順は書かれていません。書いた本人が「できなかった」と言う文章です
向いていない:小さい子にひとりで字は読めても、いじめの話です。大人が隣で読むほうがいいと思います
さかなクン/リヨン社/2007年5月・32ページ
1,540円(2026年9月23日時点)
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1分で言えなかったこと

動画で言ったことこの記事で書いたこと
2006年の朝日新聞に書いた文章12月2日/連載「いじめられている君へ」/題は「広い海へ出てみよう」
狭い水槽で1匹を仲間はずれにするどちらを出しても次が出る。入れ替えても起きるなら個体の問題ではない
海では群れで泳いでいる水槽に入るサイズは、ちょうど群れをつくる年齢の若魚
——いばっていた先輩も、3年になったとたん無視された
——さかなクンは理由を聞けず、励ますこともできなかったと書いている
——やったのは、一緒に釣りに行って隣にいることだけだった
教科書に「魚の涙」として載っている光村図書・中学道徳1年。新聞から20年かけて授業になった
変えるのは自分ではなく水の量かもしれない——

1分で言えたのは、右の列に入らなかったぶんだけでした。

子どもと本を読む時間をどう空けたかは、別に書いています。あちらは何を読むかではなく、読む時間の作り方の話です。

もし読むなら、最後の1行だけを先に取り出さないでください。その前に、聞けなかったと書いてある段落があります。

※本記事にはアフィリエイトリンクが含まれています。リンクを経由して購入いただいた場合、わたしに少額の報酬が入ることがあります。記事の内容はリンクの有無に関わらず、わたし自身の評価・意見に基づいています。
※原文は引用していません(締めの1文をのぞく)。内容は要約です。掲載日・掲載紙・署名は紙面の再録によります。メジナの生態は東京都島しょ農林水産総合センターの解説、教科書の採録は光村図書「教材別資料一覧」、書誌は国立国会図書館サーチによります(2026年9月23日確認)。

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